集合写真

開会式

功労者表彰
(右から三番目に渡真利事務長)

文部科学省講話
講師:鈴木宏幸

記念講話
講師:小野田正利

第2分科会

閉会式

瑠璃光寺

松陰神社

松下村塾

萩藩校明倫館

萩城下町

瓦そば

The End

平成30年度第71回
全国公立高等学校事務職員研究大会

平成30年7月26日(木)~27日(金)山口 市民会館大ホール

平成30年7月26日、午後0時30分より山口 市民会館大ホールにおいて、全国から717名が参加されて、平成30年度第71回全国公立高等学校事務職員研究大会の開会式が行われました。実行委員長、全国協会長の挨拶の後、ご来賓の山口県教育長並びに山口市長よりご祝辞をいただきました。

開会式終了後に各功労者に対する平成30年度の表彰式が行われました。今年の被表彰者は永年勤続157名、役員功労者7名、優秀研究4件です。

当時の中部支部B発表者代表・玉木洋

平成30年7月26日、山口市民会館大ホールにおいて、「今後の教育改革の 動向について」と題して、文部科学省の講話がありました。
「学校」のあり方の国際比較や現在の学校をめぐる状況、平成29年3月31日に改訂された学習指導要領の方向性や今後のスケジュールをはじめ、学校における働き方改革やチーム学校、学校と地域の連携、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の仕組みや導入状況などについても伺うことができました。 また、第2次学校安全の推進に関する計画(今後の学校安全に関する方向性)や「学校の危機管理マニュアル」、「学校における地震防災のフローチャート」などについても分かりやすくお話されていました。最後には、私たち事務職員に向け、今後の教育改革での事務職員に期待することとして、業務改善や校務運営への参画、学校における働き方改革での役割についても御教示いただきました。

文部科学省講話の後、「学校と近隣住民とのトラブル~部活動の苦情を生徒が解決する~」と題して 大阪大学大学院教授小野田正利氏による記念講演が行われました。「ユザワヤ」で購入されたというトラ柄の生地をスーツに仕立てたという、奇抜な出で立ちで登場された氏は、衣装にも負けず劣らずのユニークな観点から、学校と近隣とのトラブルに着目、研究されていて、講演の途中では、サブタイトルの「~部活動の苦情を生徒が解決する~」を地で行く長野県松本深志高等学校の実例を動画で紹介されました。また、もう一つ紹介いただいた動画では保育園児達が近隣住民との交流を持つことで園の騒音問題を解決していくというもので、閉ざされていた住民の心を動かしたのもやはり当事者の「園児達」でした。「学校の騒音問題の当事者は『生徒』だから『生徒』が近隣住民と話し合うべきだ。」とのお話はまさに目から鱗。「いくら先生が謝っても解決しない。」との言葉で、近隣トラブル解決の糸口は、そこだったのかと気づかせていただきました。

【研究発表】(沖縄県の発表はありません)
・第1分科会
  1.学校に勤務する教職員の多忙化解消に向けた取り組み(静岡県)
  2.事務ミスゼロ!~仕事を上手に進める学校事務マニュアルについて~(秋田県)
  3.賢く使おう ♯コミュニケーションから防災対策まで
・第2分科会
  1.ALT事務の手引き~はじめての担当者のために~(宮崎県)
  2.就学支援金~事務処理の効率化について~(石川県)
  3.「ワーク・ライフ・バランス」の実践~パソコンソフトの活用方法 旅費編(北海道)
・第3分科会
  1.多忙感解消に向けた、カイゼン活動について(鳥取県)
  2.地震はいつか起きる!?もし、それが今夜だったら…(和歌山県)


次回開催地(兵庫県)の紹介

おまけ 山口県の紹介

瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院。

国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。
大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。
香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
【五重塔】
国宝。大内文化の最高傑作といわれる。室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもある。

松陰神社(しょういんじんじゃ)は山口県萩市椿東にある神社である。

明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。
その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40年(1907)に県社の社格をもって創建が許可されました。現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもの。御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。

松下村塾(しょうかそんじゅく)は、幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。

天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。
当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられました。


萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大しました。
約1万5千坪(約5万㎡)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟を中心に、西側に小学舎、手習所などを含めた主として学問習得のための建物、それも漢学中心の初等・高等の教育施設が配置され、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていました。吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで教鞭をふるいました。
敷地内には、旧明倫小学校本館(昭和10年に建てられた木造2階建ての校舎)があり、平成8年に国登録有形文化財に登録されています。


萩城下町(はぎじょうかまち)は、長州藩 (萩藩)の萩城を中心に形成された城下町。

萩は現在でも「古地図で歩けるまち」で、江戸時代に形成された町割や街路、武家屋敷や町家などが多く連続して存在しています。
萩城は、藩政の中枢部であった本丸と二の丸、そして重臣たちの屋敷があった三の丸で構成されていました。また、城内への入口となる外堀には北・中・平安古の三つの総門が設けられ、その外側の町筋は碁盤目状に整備され、中・下級の武家屋敷や町屋が軒を連ねていました。




瓦そば(かわらそば)は、山口県下関市豊浦町発祥の麺料理。

"瓦そば"とは、熱した瓦の上に茶そばを乗せ、その上に卵や肉が乗ったもののことをいいます。山口県内のスーパーではごく普通に「蒸した茶そば+汁」のセットが販売されているように、とてもポピュラーな料理です。
瓦の上に載せて提供するお店は少ないですが、県内の居酒屋でもメニューに取り入れている店が多く、県民に愛されている定番メニューとなっています。それゆえ、テレビ番組の「秘密のケンミンSHOW」で放送されるまで、全国どこでも食べられるものだと思っていた山口県民の方が多いとか。
またTBSテレビ『逃げるは恥だが役に立つ』で新垣結衣さん、星野源さんのお二人が食べている姿を見て気になったという他県の方からも注目を集めています。